懲りずに君は僕の憧れ



Tumblrに置いていた文を転載


ときどき自分の中で振り返りたくなる、スピッツを好きになったきっかけたちを些細な思い出も含めてつらつら書いていこうと思う。
twitterで書くと長々と鬱陶しくなると思ったのでここで。興味ある人は暇な時にでも読んでみてください。

小4
初めてスピッツの存在を知る。当時放送してた音楽番組のチャートに正夢がランクインしていたのを見た。
脳みそがスポンジみたいだった当時はテレビで見聞きした音楽はすぐに覚えて、下校の時友達と別れて一人になった道で鼻歌で歌っていた。例に漏れず正夢も小4の私の鼻歌レパートリーのひとつになった。
「浅いプールでじゃれるような」というフレーズが印象的で、歌う度にもっと小さい頃に庭で遊んだビニールプールが頭に浮かんでいた。
あとはセピア色の路地裏と商店街の景色。写真と言うより手書きの線画の景色。歌詞に商店街が出てくるからだと思う。この景色は今も聴く度に全く同じものが浮かぶ。
2歳年下の妹が「○○ちゃんのお母さんスピッツ好きなんだって」と話していたのを覚えてる。どうやら妹の方がスピッツを認識するのが早かった様子。

小5
通っていた小学校は5年生になると6年生から鼓笛隊を引き継ぐという伝統があった。
先生が5〜6曲選んだ中から学年で多数決を取り演奏する曲を決める。その中の1曲に空も飛べるはずが選ばれていた。
私は青春アミーゴ一択だったが敢え無く落選。演奏する曲は空も飛べるはずになった。多数決の時歌手名は添えられていなかったように記憶しているので、曲名も知らない、スピッツの曲とも知らない当時の私は若干盛り下がっていた。
いま思えば私の学年は94年生まれの代なので、同じ年に発売した空も飛べるはずに決まったのは嬉しい由縁である。
楽譜にドレミを書いてたくさん練習したので、今でもサビはドレミの音階で口ずさむことがある。「君と出会った奇跡が」が「ソドレミミレミファミドド」になる。私の楽器はグロッケンだったので、歌のメロディーとは違う部分も弾いていた。色褪せながら〜の後のギターの所とか。あそこはドシドソドシド。忘れないもんである。
先生が練習用に各クラスにスピッツのアルバムを焼いたCDを配ってくれて、業間休みやお昼休みに教室で流していた。そのCDに入っていたロビンソンとチェリーがお気に入りで、教室のオルガンでピアノが上手な子がCDに合わせて伴奏してくれて、みんなで歌ったりした。曲名は多分先生かクラスメイトが教えてくれたんだと思う。
この時にスピッツ=好きというざっくりとした印象が根付いたんだと思う。
前述した音楽番組でロビンソンのMVを見て、白黒のイメージが強かった。頭の中に浮かんでいたのは三日月が見える丸い窓。ゲーセンで太鼓の達人で遊ぶときはロビンソンを選んでいた。
突然歌詞に現れる「夢を渡る黄色い砂」の意味の分からなさや、「少しだけ眠い」と突然歌う草野マサムネの歌詞の世界観には当時から楽しく悩まされていた。
当時はどうやら曲を最後までまともに聴いていなかったようで、チェリーのCメロとラストのサビの存在と美しさに衝撃を受けたのはもう少し先の話。
至極どうでもいいエピソードだが、クラスの男子が空も飛べるはずの歌詞を「僕達をコバンザメ」と替え歌で歌っていたのが未だに忘れられない。

中1
群青が発売される。何で知ったのかは覚えてないが、曲がもの凄く好きだった。MVはインターネットや地元のライブ告知のCMで見ており、振り付けも習得していた。
そして初めてCDをお小遣いで買った。当時スピッツは結成20周年。そんな事知る由もなく、スリーブの内側に敷き詰められたスと20は何なのか不思議だった。最近気付いたのだが、新品を買ったのではなくレンタル落ちの中古品を買っていた。それでもCDを買うなんて中学生の自分にとっては一大イベントだった。レンタル落ちのシングルを延々聴いた。ジャケットもスリーブも歌詞カードも隅から隅まで眺めた。作詞作曲のクレジットでは表記が「草野正宗」になることが新鮮だった。
ジャケットの福田利行さんの可愛いイラストと軽快なポップスの群青とカップリングのしっとりとした夕焼け、これまで聴いてきた曲の印象により、私の中のスピッツ像は完全に「フォークとJ-POP」で確立された。フォークなんて当時は雰囲気でしか知らないので本当にイメージでしかない。
私の脳内では、ロックの文字には結び付かない大衆的な音楽の部屋(同部屋は平井堅やJUJUや大塚愛みたいな、特別好きではないけど当たり前に世間と自分の中に有る音楽ジャンル)にスピッツは配属されていた。
このイメージは後に大きく覆され、スピッツはこの部屋には入れないくらい私の中で大きい存在になっていく。

高1
小中と当時人気のあった流行りの音楽しか聴いてこなかった。しかし高1の夏休み前くらい、突然その音楽たち全てに飽きてしまった。ウォークマンの中身が全て退屈に変わってしまって、心の中がぽっかり空洞になってしまった。
そんな中出会ったのが邦楽ロックだった。ここでは割愛するが、とあるバンドSのとある一曲を聴いてから退屈を感じる日は消え、このバンドに関するサイト、ブログ、漫画、映画、出来る限り全てを調べて見聞きした。その中のひとつにあるコンピレーションアルバムがあった。そのバンドSの曲が収録されていたので迷わず手に取った。収録されているのはほぼ全て知らないバンドやグループの知らない曲。しかし初見のアーティスト名の中に唯一馴染みのある名前があった。
チェリーや群青や空も飛べるはずスピッツのメモリーズという曲。さぞかし可愛い曲なんだろうと思っていた。
ところが聴いてみると、私の知っているスピッツはどこにもいないロックチューン。これ本当にスピッツの曲なのか!?と何度も耳を疑った。歌詞も更に意味が分からない。小銭ジャラジャラって歌ってる?とにかく頭の中が混乱した。
思わずネットで歌詞を調べた。本当に小銭ジャラジャラと歌っていた。合わせてメモリーズという曲についても調べたら、なんとこんなに自分の中のスピッツ像とかけ離れた曲がシングルだというのだ。しかもMVまであるのだ。MVは事故現場の映像や太極拳のおじいさんや魔物みたいな細身の男性が次々現れ、夢の中みたいな説明しにくいなんでもありの世界観。
この一曲でこれまでのスピッツへの概念を完全に覆され、スピッツって一体なんなんだ?と考える日々が続いた。この一件を自分の中で「メモリーズ事変」と呼んでいる。
とりあえずメモリーズが入っているアルバムを借りて聴いてみようと思ったが、オリジナルアルバムでは見つけられず(メモリーズ・カスタムを別曲と思い見落としていた)2枚組のシングルコレクションをレンタルした。
1997-2005の方は意識せずとも耳に届いていたらしい曲ばかりで、ほとんどはタイトルとサビくらいは知ってる曲だった。しかし1991-1997の方は空も飛べるはずとロビンソンとチェリー以外は全く知らない曲ばかり。そもそもスピッツがこんなにシングルを出していたことにも衝撃を受けた。
特に初期の楽曲は、どうしてこんなに良い曲があるのに知らなかったんだろうと何度も不思議に思った。程よくキャッチーで親しみやすい構成のメロディ、次々現れるヘンテコな歌詞、そして何より草野マサムネの誰をも遠ざけない、クセのない澄んだ声。これまで知らなかったスピッツの側面を改めて好きになるのに何も邪魔するものは無かった。
サイクルヒットを聴いたことで、好きなバンドに名前を挙げるほどではないが、よく聴く音楽の中にスピッツが追加された。登下校中はしばらくサイクルヒットしか聴いていなかった。

高3
当時付き合っていた同級生がいた。その彼のお母さんに車で家まで送ってもらったとき、車内で流れていたのがさわって・変わってだった。次に流れたのは知らない曲だったので、どうやら聴いていたのはオリジナルアルバムのようだった。後日聞いたらよくあのアルバムは車で流していると話していた。
付き合ってはいたものの、もっと仲良くなりたいし楽しく話せる話題も欲しいしお母さんにも気に入られたいと思っていたので、私ももっとスピッツたくさん聴こう!と下心ありありで謎の決心をし、下心の塊はブックオフへと向かった。
オリジナルアルバムの枚数が多く一旦怯んだが、とりあえず安価で売っていたスーベニアと三日月ロックとインディゴ地平線を購入。この時やっと初めてスピッツのオリジナルアルバムを聴いた。
かなりライトなリスナーでしかなかったので、アルバムの中の気に入った曲以外は飛ばして聴いていた。

18歳
高校を卒業し、社会人になった。車通勤で片道1時間かかるので道中は音楽が欠かせなかった。
これまで音楽を聴く方法はウォークマンのみだったが、車用のスピーカーを持っていなかった為手持ちのCDを車のオーディオで流すことにした。
アルバムを買っても気に入った曲しか聴かないタイプだったので、アルバム1枚を通して聴くのはかなり新鮮だった。もちろんスピッツも。
高3で購入した3枚のアルバムはこの時初めてフルで聴くことになる。今までイントロでピンと来ず飛ばしていた曲が実はカッコいい曲だと知り、遅ればせながらスピッツのオリジナルアルバムの魅力に気付いた。
特にインディゴ地平線は聴くたび新生活が始まった当時の不安と緊張が入り混じった気持ちがよみがえる。
それから少しずつ他のアルバムを買い足しては通勤のBGMにしていた春、スピッツがシングル「さらさら/僕はきっと旅に出る」をリリースする事を知った。
高3あたりから近くでスピッツのライブがないかちょくちょくHPを覗いていたとき、画面に現れるポップアップで新しいアルバムを制作している情報を得ていたが、特に気にも留めていなかった。
しかし今は心持ちが全く違う。オリジナルアルバムを通して聴き、スピッツの曲は自分にとってハズレのないものだという完全な信頼を寄せていたからだ。
同時期にtwitterで音楽嗜好アカウントを作りスピッツファンと繋がったことで、今まで知らなかった曲やメンバーの情報を得て、ゆるくて仲が良く可愛らしいそのギャップを知ってしまい、まんまと落ちていった。そのままズルズルと引き込まれていきあっという間に人生初のファンクラブ入会。

ここから先は今のオタク生活となんら変わりないのでこの辺で切り上げることにする。
結局自分はギャップに弱い人間で、自分の作り上げたスピッツ像を何度も何度も覆されたことにより、その度新しい魅力を知り、好きが加速していったのであった。

深くハマったジャンルのことを沼と例えることがあるが、私にとってスピッツは海だ。
間違いなく存在していて、もちろん有ることは自分もみんなも知っていて、でもきっかけが無ければ自ら出向く事はなくて。最初は波打ち際で足を浸して遊んでいただけなのが、もっと深いところで泳いでみようかななんて思ったりして、気付いたら浜辺から遠くの方まで来ちゃってて、持ってた浮き輪はどこかに流されちゃって、泳ぎ方も分からないまま心地よい波に飲まれてる。今はのんびり波に漂っている自分がいる。ときどき息の仕方を忘れるけど。深いところまで来ないと見られなかったキレイな景色や魚たちにたくさん出会ったり。
だからスピッツは海。

小学生の頃から使っていたお気に入りのタオルケットが破れてしまい泣く泣く捨てたことで昔を思い出したのがこれを書いたきっかけのひとつです。
こんなに長くて読みづらい自己満でしかない文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。